「福島の街を楽しく」そのために真っ直ぐ進み続ける

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藪内 義久(やぶうち よしひさ)さんプロフィール

1979年福島市生まれ。 東京の眼鏡専門学校を卒業後、都内の雑貨店などで勤務したのち、プロダクトデザインを学ぶためイギリスへ。2004年、家業の眼鏡店『OPTICAL YABUUCHI』を継ぐため福島に帰郷した。現在は同店を含むニューヤブウチビルを経営している。

藪内 義久

リノベーションビルから始まる街の変化

ニューヤブウチビルは、福島市街地「県庁通り」にある3階建てのビルです。1階には眼鏡店『OPTICAL YABUUCHI』、2階には花屋とレコード屋、3階には食堂とギャラリーといった、個性豊かなお店が集まっています。15年かけてコツコツと自分たちの手でリノベーションし、魅力的なテナントを誘致して現在の形になりました。
同ビルのオーナーである藪内さんは、眼鏡店経営者として、眼鏡の制作・販売のほか、ビルの管理運営、イベント企画などを務める傍ら、2019年からは3階『食堂ヒトト』の経営も引き受けました。
福島市を代表するリノベーションビルとなった同ビルを中心に、周辺にも新しいお店が次々と開店・移転し、このエリアは古き良きものと新しいものが融合する「おもしろい街」として話題が絶えません。その仕掛け人と言える藪内さんに、福島市にUターンし、現在に至るまでのお話を伺いました。

自分の夢との葛藤の中、家業を継いだ20代

20代前半だった藪内さんは、東京の眼鏡専門学校を卒業後、イギリス留学のための準備を始めました。「留学したいと思ったきっかけは、とある眼鏡屋の店主に『眼鏡屋の息子が、眼鏡屋に勤めて、実家の眼鏡屋に戻るなんて感覚が低すぎる』と言われたことでした。
それならもともと興味があったプロダクトデザインを学ぶために留学してみよう、と思ったんです」。
まずは英語を学ぶため語学学校へ通い、その後デザインの勉強ができる大学へ進学する予定でしたが、家業を継いで欲しいという両親からの説得があり、大学進学を断念。24歳の時に福島市に?ターンすることになります。 自ら留学資金を貯め、やっと手に入れかけた夢を諦めることにもちろん未練はあったそうです。しかし藪内さんの?ターンを決意させたものは、それまで四代続いてきた家業の重み。
「自分のルーツを振り返ると、父の前にはじいちゃん、曾じいちゃん、そして初代のじいちゃんたちがいて、自分が背負っているものの大きさを感じました」。

遊びは真面目に、仕事は楽しく

福島市に戻ってからは、店舗を改装したり、自身でイベントを企画したりと新しいことにチャレンジしていましたが、何に取り組んでもなかなかモチベーションを保ち続けることができず、心の片隅に小さな未練を抱えながら月日が流れていきました。
気持ちを切り替えて本当に前向きになれたのは、帰郷から1年半後のこと。ヒントをくれたのは藪内さんが運営に携わっていた音楽イベント「FOR座REST」の代表を務めていた方の言葉でした。
「藪内くん腐ってるね。『仕事は真面目に、遊びは楽しく』って思ってないか?『遊びは真面目に、仕事は楽しく』するんだぞ。仕事を楽しむためにどうどうすればいいと思う?」―ストレートなアドバイスが、藪内さんの胸に刺さりました。
「ハッとしました。自分は他人に言われたことだけをやっていたんだって。福島に帰ってきたことも、帰って来いと言われたから…と思い込んでいました。暮らしを楽しめるか楽しめないかは自分次第なのに、楽しめない理由を自分じゃない誰かの責任にしていたんです」。
この気付きは、藪内さんのその後の働き方、暮らし方を変える大きな転機となりました。

その後、好きなことを仕事に取り入れてみようと考えた末、チャレンジしたのは、眼鏡のプロデュースやセレクトではなく、眼鏡作りでした。デザインから制作まで、全てを自らが手がけます。その結果生まれたのがオリジナルブランドの「COYA(コウヤ=荒野)」。金属を一切使用しない、全てのパーツを木で作り上げるオールウッド、オールハンドメイドの眼鏡です。
「留学を諦めた時に、自分はもうプロダクトデザインを仕事にすることはできないと思っていました。正直、それまでは眼鏡はおもしろくないプロダクトだと思っていたけど、眼鏡もデザインできると改めて気が付き、眼鏡づくりをしてみることにしました」と振り返る藪内さん。
そこから完成までは苦労や失敗の連続で、評価されることもあれば酷評されることもあり、他ブランドと比較してしまったりして、葛藤や迷いの中で制作できない時期もあったそうです。それでも時間をかけながらも着実に形にしていき、2010年にオリジナルブランドとして発表しました。

製作中の眼鏡
製作中の眼鏡

仲間がいる今、この街ならやれないことはない

現在、藪内さんは周辺の空きテナントの店舗誘致も行っています。自主的に取り組んでいるため、テナントに店舗が入居しても藪内さんには収入は発生しませんが、原動力は「福島の街が楽しくなればいい」というまちづくりへの想いと、「自分自身がただ楽しい」という純粋な想いです。
福島にUターンしてから15年間、様々な人との出会いや出来事の中での発見や気付きを通して、藪内さんの故郷への思いは一層強くなり続けているそうです。「僕自身、福島って良い街だなって心から思います。若い子たちに、福島には何もないって思わせたくないんです。福島を楽しいと感じてもらえるかどうかは、まちづくりを担う世代の僕たちが背負っていることですから。周りにたくさんの仲間たちがいる今、ここでならやれないことはないし、何でもすぐに始められる。福島がそういう場所になってきたと感じています」と藪内さん。

話題を集め、このエリアに遠方からも足を運ぶ人が増える中、藪内さんが最も嬉しいと感じるのは、地元の人たちの反応です。古くからの歴史を刻んできた老舗店がありつつ、新しいものも次々と生まれていくこの街を、様々な年代の人が楽しい、おもしろいと言ってくれているそうです。つい先日は、ある高校生が「この街が好きだから」という理由で自発的にこのエリアのお店を取材しに来たそう。「この街が好き、という言葉を聞けた瞬間に、自分たちがやってきたことが正解だったんだって、泣きそうになるほど嬉しかったです」と話してくれました。
そして藪内さん自身も、新しいチャレンジに向けて動き始めています。仲間たちと話し合いながら、ニューヤブウチビルにお菓子工房を立ち上げ、新しい福島のお土産づくりを計画しているそうです。その原動力も、ただただ楽しいから、というその一心なのだそう。
家業を継ぎ福島の街で暮らすという選択を自らの楽しみに変えて、藪内さんはこの街とともに、これからも前進し続けます。

2019年8月に行われたイベント「ちいさなもみじ市」(写真提供:OPTICAL YABUUCHI)
2019年8月に行われたイベント「ちいさなもみじ市」(写真提供:OPTICAL YABUUCHI)

編集後記

藪内さんの言葉には、自分の人生や自分が住む街への期待感が溢れていました。藪内さんのように、自分が暮らしている環境を純粋に楽しみ、表現している人がいることは、その街に住む人にとっても大きな財産だと思います。藪内さんの想いや取り組みは、周囲の人や子どもたちにまで広がり、魅力的なまちづくりへと繋がっていくのでしょう。自分でお店を始めたいという方にとっても、この街なら心強い仲間ができるはずです。
最後にこっそり最終的な将来の夢を聞いてみると、「自然豊かな場所で平屋に暮らしながら、眼鏡だけを作る生活を送りたい」という答えが返ってきました。やっぱり藪内さんは、根っからの眼鏡屋さんのようです。

(掲載:2019年12月)

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