証券マンから地域の伴走者へ
「rental space unlock」を挑戦の連鎖が生まれる場所に
福島県会津坂下町出身の石川さんに、Uターンのきっかけやレンタルスペースを始めた経緯について伺いました。
東京都 → 福島県河沼郡会津坂下町(Uターン)
みずほ証券 → 会津美里町の農業法人勤務、会津坂下町の「rental space unlock」運営委員会 共同代表
- Uターン
- 起業
- 副業・複業
- 家族で移住
- 里山暮らし
INDEX
石川丈博(いしかわ たけひろ)さん
会津坂下町出身の43歳。早稲田大学卒業後、みずほ証券に入社し、法人コンサル営業や社内シンクタンクでの産官学連携、ベンチャー育成などに携わる。祖母を介護していた母の体調悪化をきっかけに、2020年に退職してUターン。現在は会津美里町にある第三セクターの農業法人に勤務しながら、会津坂下駅前の空き店舗を再生した「rental space unlock」を共同運営している。一児の父。

Q.移住前の仕事と、会津坂下町へUターンすることを決めた経緯を教えてください。
大学進学を機に上京し、卒業後に都内でみずほ証券に就職しました。最初は法人コンサル営業、その後は産官学連携室に異動し、大学との寄附講座や共同研究の運営をベースに、ベンチャー創出や地域活性化の仕組みづくりなどに携わっていました。
Uターンを決意するきっかけになったのは、祖母の介護を続けていた母の体調が悪くなり、「帰ってきてほしい」と頼まれたことです。自分の進路について母からお願いされたのは生まれて初めてで、「真剣に向き合わなければ」と感じました。
当時私は30代後半で、東京でのマンション購入も視野に入れていた時期でした。最初は妻に反対されていましたが、会津美里町の農業法人への就職が決まり「生活の土台と収入は確保できる」と説得。そのうえで、妻と息子に2週間ほど会津坂下町でお試し移住をしてもらい、「これなら暮らしていけそう」と感じてもらえたことが、Uターンを決断する大きな後押しになりました。
Q. 現在のお仕事と、レンタルスペースを始めたきっかけについて教えてください。
現在は、隣町の会津美里町にある農業法人に勤務し、約100ヘクタールの水田での水稲栽培のほか、お米の六次化商品の製造・販売や新商品の企画などに携わっています。
その傍ら、JR只見線 会津坂下駅前の空き店舗をリノベーションし、2025年1月に「rental space unlock」(以下、unlock)を開業しました。
開業のきっかけは、久しぶりに町の中心商店街「ライヴァン通り」を歩き、空き家や空き地が目立つ様子を見て「このままだと若者が楽しめない。チャレンジの場が必要だ」と感じたことでした。
中学時代の同級生が集まる地元仲間の会でそんな話をしていたとき、町内で家業の水道業を継ぐ江川君から「駅前の空き店舗が借り手を探しているらしい。そこを何か利活用する良いアイデアはないか?」と持ち掛けられました。そこで、「その物件をチャレンジショップとして短期出店できる場にして、僕らが出店支援を行えば、空き店舗の活用と商店街のにぎわいづくりにつながる。レンタルスペースとして継続的に使ってもらえれば、収支も成り立つはずだ」と考え、江川君と2人で立ち上げることにしました。
江川君が地元ネットワークを生かした声かけや広報を担い、私がコンセプト設計やイベント企画、町外への発信や講演対応を担う役割分担で共同運営しています。
Q. unlockの運営を通じて、地域とどのようなつながりが生まれていますか?
unlockの主な利用目的はイベントと飲食関係です。飲食店の営業許可があるキッチンはお蕎麦屋さん営業や仕出し弁当の仕込み、奥の和室はベビーマッサージ講座や美容サロンの営業などによく使われています。予約が空いている週末には、マルシェやパンフェスといった自主企画も実施。町役場隣の「Shere Room aore」さんと連携し、毎回日程を揃えてマルシェを開催することで、来場者に駅前と町中を回遊してもらえるようにしています。
また、町の議員さんや職員さんによる視察を受けたり、町長主催の慰労会でunlockを使っていただいたりと、行政との接点も生まれました。それがきっかけとなり、町議のおひとりが立ち上げた空き家・空き店舗の利活用をめざすNPO法人では、副理事長を務めることに。
Uターン前は「会津坂下町には何もない」と思っていましたが、unlockを通じて多くの人たちと出会い、「この町にはこんなに尊敬できる人がたくさんいたのか」と気づかされました。
Q. 移住前と比べて、暮らしや家族との時間はどのように変わりましたか?
東京にいた頃は、朝6時に家を出て終電で帰ることもあり、家に戻ってからも急な仕事への対応や仕事に係わる情報収集などが習慣化した毎日で、家族全員で食事をとることはほとんどありませんでした。
それが今では、18時には帰宅し、毎日家族4人で食卓を囲んでいます。「今日学校でこんなことがあった」といった他愛ない会話をしながらご飯を食べる時間が本当に幸せです。
町中に病院や学校、スーパーがコンパクトにそろっていて、「車1台あれば都会にいた頃より便利だね」とも話しており、妻も息子も今の暮らしを楽しんでくれています。
Q. 働き方やキャリアに対する価値観は変わりましたか?
証券会社で働いていた頃は、「いくら成果を上げるか」「自分の仕事が世の中にどれだけ影響を与えられるか」が価値観のほぼすべてでした。
Uターンして、家族や町の人たちと深く関わるようになり、価値観は大きく変わりました。家族の幸せや自分の満足感、周りの人の笑顔といった、数字に見えにくいものにこそ価値を感じるようになったのです。
収入は減りましたが、都会での華美な交際も減りましたし、実家で暮らすことで家賃がかからないこともあり、生活コストは下がりました。都会でマンションを買い、高いローンを払い続ける生活より、今の方がずっと豊かだなと感じています。
Q. unlockで実現したいことや、まちづくりの面で描いている未来を教えてください。
かつて町内で愛された名店「居酒屋 まる」の経営者のお孫さんが、チャレンジショップとしてunlockで蕎麦屋を開いてくれました。「『まる』という屋号を蕎麦屋で復活させたい」とunlockに相談してくれたのが始まりです。
私たちが目指しているのは、まさにこうした「はじめの一歩」を支えることです。まずはunlockで腕試しをして経験を重ねてもらってから、本格的な創業や出店につなげていけたらと考えています。誰かが一歩踏み出せば、「じゃあ自分も」と追いかける人が必ず出てくる。そんな挑戦の連鎖が生まれる場に育てていきたいですね。私も伴走役として、東京時代の経験も活かしていくつもりです。
将来、子どもたちに「あの頃の親父たち、面白いことやってたよね」と言ってもらえるような楽しい会津坂下町を残せるよう、行動し続けていきたいです。
ふくしまぐらしのお気に入りベスト3は?
朝焼けと夕焼け
会津の朝焼けと夕焼けは本当にきれいで、「こんなに赤いのか」と感動しました。東京では見られない美しい光景です。
山と湖
ちょっと車を走らせれば、30分〜1時間圏内に美しい山や湖がたくさんあります。会津坂下町は「坂下の馬鹿三里」と言われるように、会津の主要地域のどこに行くにもだいたい同じくらいの距離感で、アクセスの良さも気に入っています。
人の笑顔
原発事故の影響で浜通りから会津に避難し、そのまま定住された方が職場にもいらっしゃいます。大変な経験をされているはずなのに笑顔が本当にきれいで、「会津には人を笑顔にさせる何かあたたかさのようなものがある」と感じます。

おすすめの近隣スポットは?
「居酒屋福ちゃん」は、明るくて笑顔の素敵な中学の後輩が営む、私のお気に入りのお店です。地元の日本酒を片手に仲間とunlockの活動や遊びの計画を練る時間がとても楽しいです。たいてい誰か知り合いがいますし、一人でもカウンターで隣り合わせたお客さんとすぐに仲良くなれるような雰囲気があります。
編集後記
インタビュー中に見せていただいた東京で働いていた時の石川さんの写真は、現在の生き生きした笑顔とは対照的で驚きました。表情や言葉の端々からも、会津坂下町での暮らしを心から満喫している様子がひしひしと伝わってきました。福島にUターンし、次に挑戦する誰かのために自分の経験を生かす石川さんの姿は、「ふくしまぐらし」の一つの理想形だと思います。
この記事が、福島へのUターンや移住を考える方の働き方・暮らし方を見つめ直すきっかけになればうれしいです。











